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旧ユーゴ国際戦犯法廷の裁判を傍聴してみた感想とレポート(2017年5月3日)

旧ユーゴ国際戦犯法廷の裁判を傍聴してみた感想とレポート(2017年5月3日)

2017年5月3日(水)に旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ICTY)で開かれた裁判を傍聴してきたので、その感想とレポートを書きたいと思います。

インターネット上で検索してみる限り、旧ユーゴ国際戦犯法廷を傍聴した人による日本語での感想やレポートが見受けられないので、同法廷に入館してから一般傍聴席から見る法廷内の様子に至るまで隅々お話ししようと思います。

そもそも旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷とは何だ?と思う方は、以下の記事を最初にご参照ください。

 

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裁判に関わる人物と裁判で扱われた内容

旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の元指導者や幹部6名

旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の元指導者や幹部6名 左からヤドランコ・プルリッチ、ミリヴォイ・ペトコヴィチ、ブルーノ・ストイッチ、スロボダン・プラリャク、ベリスラヴ・プシッチ、ヴァレンティン・チョリッチ。 出典:https://inavukic.com/

今回の法廷が開かれた理由は、宣告された禁固刑と罪に問われている内容に対して不服に思う戦争犯罪人6名による控訴申し立てでした。

ボスニア紛争中にクロアチア人単一民族国家「ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国」を目指すために、同地域に居住するムスリム人に対して行われた人道に対する罪(虐殺やレイプによる民族浄化や迫害、強制退去など)、戦争犯罪で起訴された元政治家や元軍人6名には、2013年に約1025年の禁固刑が宣告されています。

 

控訴を申し立てている元政治家や元軍人6名の詳細は、以下の通りになります。

ヤドランコ・プルリッチ Jadranko Prlić25年の禁固刑)

クロアチア防衛評議会(ボスニア紛争中に設立された軍事組織)の元指導者であり、旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国(ボスニア紛争中に事実上独立していたクロアチア人単一民族を目指す国家)の元首相。

ブルーノ・ストイッチ Bruno Stojić20年の禁固刑)

クロアチア防衛評議会の防衛省の中心的存在であり、旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の大部分の軍隊を指揮していた人物。

スロボダン・プラリャク Slobodan Prljak20年の禁固刑)

クロアチア共和国の防衛省で要職を担った政治家であり、クロアチア防衛評議会の元指揮官。

ミリヴォイ・ペトコヴィチ Milivoj Petković20年の禁固刑)

クロアチア防衛評議会の元長官であり、軍隊の副指揮官。

ヴァレンティン・チョリッチ Valentine Ćorić16年の禁固刑)

クロアチア防衛評議会の警察組織の元指導者であり、旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の国務省大臣。

ベリスラヴ・プシッチ Berislav Pušić10年の禁固刑)

旧ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の刑務所を管理する元長官。

現在も裁判が続いている被告人に関する資料

現在も裁判が続いている被告人に関する資料

彼ら6名の被告人は、問われている罪(人道に反する罪や戦争犯罪など)が独立後の本国クロアチア指導者トゥジマンと共に、Joint Criminal Enterprise“:共通の犯罪意図または目的を有した共同犯罪計画の一部として実行されていたとする判決を否定するとともに、宣告された禁固年数を軽減するよう求めています。

 

旧ユーゴ国際戦犯法廷の裁判を傍聴する一連の流れ

第1のセキュリティチェックと受付デスクで入場券の受取

旧ユーゴ国際戦犯法廷の入口

旧ユーゴ国際戦犯法廷の入口 出典:http://bsanthropologyfieldtrips.weebly.com/

旧ユーゴ国際戦犯法廷で開かれる裁判を傍聴したい人は事前に予約などする必要は一切ありません。裁判が開かれる当日の時間に旧ユーゴ国際戦犯法廷を訪れるだけです。

今回の裁判は9時30分から開かれる予定となっていたため、私は余裕を持って9時頃に旧ユーゴ国際戦犯法廷の建物前に着きました。

まず施設の入口に設置されてあるセキュリティチェックの建物に入り、警備員に裁判を傍聴するために訪れた事を伝えると、IDまたはパスポートを掲示するよう言われます。その後、空港のセキュリティチェックのように「X線で手荷物の中身を検査」と「金属探知機のゲートを通過」します。

それを終えると、法廷に持ち込みが禁止されている物(携帯電話や録音機、カメラなど)や不必要な手荷物(バッグ)などを、すぐ隣の無料ロッカーに入れるように言われます。

これらの無料ロッカーの反対側には、旧ユーゴ紛争の戦争犯罪人として起訴されていた、または現在も裁判が続いている人々(ラトゥコ・ムラディチ被告やラドヴァン・カラジッチ被告、ヴォイスラヴ・シェシェリ被告など)の名前が付けられたロッカーが設置されていました。法廷で働く職員や私のような訪問者と同様に、起訴されている被告も正面玄関のセキュリティチェックを通過してから入館するのか!?と驚きました。

すべて入れ終えたあとに、いよいよ旧ユーゴ国際戦犯法廷の建物に入ります。

 

旧ユーゴ国際戦犯法廷の正面ロビー

旧ユーゴ国際戦犯法廷の正面ロビー。奥の階段を上ると法廷。Photograph provided courtesy of the ICTY

建物内に入って正面向かって左側に受付デスクがあります。受付デスクの担当者に裁判を傍聴するために訪れた事を伝えると、再度IDまたはパスポートのチェックが行われます。個人情報確認および組織内への登録が完了すると以下のような裁判の傍聴への入場券が渡されます。

旧ユーゴ国際戦犯法廷の傍聴席への入場券

旧ユーゴ国際戦犯法廷の傍聴席への入場券

 

第2のセキュリティチェックと一般傍聴の部屋に入室

入場券を受け取ったら、受付デスクすぐ隣奥にあるセキュリティチェックにて再度「X線で手荷物の中身を検査」と「金属探知機のゲートを通過」します。その後、階段で2階へ上ります。

2階へ上ると一人の警備員が待ち構えており、受付デスクで渡された入場券を提示すると、オーディオ音声翻訳機を受け取るように指示されます。イヤフォンが装着されていない状態で受け取りますが、傍聴席の座席の上にヘッドフォンが置かれていました。

 

そして、一般傍聴の部屋(簡易的な障壁で区切られた空間)に足を踏み入れいると、目の前には防弾ガラスのようなアクリル板を挟んで状態での法廷が目に飛び込んできました。アクリル板で区切られているために法廷内にすでに待機している人々の声などは全く聞こえませんが、法廷内の検察官や弁護人、職員たちと実際に同じ部屋にいるような感覚に陥りました

 

一番前の列で中央の席に座ろうとしたのですが、最前列は裁判や被告人と関係のある者のみが座ることができるようで、警備員から2列目より後ろに座るように促されました。傍聴席として用意された席は、約50席ほどでした。

裁判が始まるまでに訪れた傍聴者は、私を除いて3人のみでした。彼らはクロアチア語で会話をしていたので、被告人6名と関係のある者または友人なのだろうと思いました。

傍聴席の部屋内にはオーディオ音声翻訳機で聞くことができる言語が記載された張り紙が用意されていました。用意されている翻訳チャンネルは全部で4言語になります。

  • チャンネル3:アルバニア語
  • チャンネル4:英語
  • チャンネル5:フランス語
  • チャンネル6:ボスニア語・クロアチア語・セルビア語

ボスニア語・クロアチア語・セルビア語は、かつて「セルボ・クロアチア語」と呼ばれていた言語であり、東京弁と大阪弁のような方言的な違いだけでほぼ同じ言語とも言えます。しかしながら、旧ユーゴ解体・各共和国独立の過程で国家の正式言語として成立しているために、旧ユーゴ国際戦犯法廷も各言語の正式名称を別々に記載する配慮がなされています。

 

裁判の開廷

法廷内の様子

法廷内の様子 Photograph provided courtesy of the ICTY

裁判が開廷される9時30分頃になると、2人の警備員と共に5人の被告人*が法廷に現れました。私にとって、旧ユーゴ紛争の戦争犯罪人を直接見ることは初めてでしたが、非常に驚く光景がありました。5人とも非常に元気な姿であると同時に、彼らの専属弁護人と笑顔で握手を交わしたりと和やかな雰囲気が見て取れました

先述したクロアチア語を話す3人の傍聴者は、法廷に現れた5人の被告人に対して笑顔で手を振っていて、「彼らの元気な姿を見れて良かった」と話していたので、やはり3人の傍聴者は被告人6名の友人または関係者であると確信しました。

※ベリスラヴ・プシッチ被告のみ法廷には現れませんでした。理由は、宣告された10年の禁固刑をほぼ全うしたためとの説明がありました。

 

9時30分を少し過ぎた頃に、裁判官が法廷内に現れました。法廷内の人間だけでなく傍聴席に座る私たち傍聴人も全員起立し、裁判官が法壇の席に座るまで起立した状態を保ちます。裁判官が自身の席に着席すると、他の全員も着席します。

裁判官による法廷が開かれた理由が説明された後に、被告人6名と彼らの専属弁護人に対して控訴する内容の確認が行われました。そして、この控訴審に対して弁護人側と検察官側に他に提示する証拠があるかどうかの確認がなされ、双方とも「これ以上なし」という発言がなされて控訴申し立てが完了しました。

僅か30分弱ばかりにして控訴申し立てのために開かれた法廷が終わり、始まりと同様に裁判官の促しと共に全員起立し、今回の裁判は閉廷しました。

 

裁判を傍聴してみた感想

配布されていた旧ユーゴ国際戦犯法廷に関するパンフレット

配布されていた旧ユーゴ国際戦犯法廷に関するパンフレット

今回は宣告された判決と問われる罪の内容に対して不服に思った被告人6名による控訴の申し立てという形式上の裁判でしたが、旧ユーゴ国際戦犯法廷を間近で見ることができたことは非常に良い経験となりました。

私はこれまで日本でも一度も裁判を傍聴する機会がなかったので、一般的な裁判と、この国際法廷で開かれている裁判の様子を比較することはできません。しかしながら、私が想像する緊張感が漂う法廷とは全く異なって、旧ユーゴ国際戦犯法廷の今回の裁判は和やかな雰囲気で始まりました。

また、閉廷後も法廷に出席した5人の被告人からは笑顔が見られて、専属弁護人たちと挨拶を交わしたりする光景が見られました。この状況は、本人たちが控訴審の最終的な結果を楽観的に捉えているのか、もしくはハーグの刑務所暮らしに満足しているのかは分かりません。

ただ、こうした光景は旧ユーゴ紛争で実際に起きた悲惨な出来事(民族浄化のための虐殺やレイプ、迫害、強制退去など)を考えてみると奇妙に感じます。実際に控訴申し立てしている被告人6名も、ボスニア紛争中にムスリム人に対して関わったとされる人道に対する罪や戦争犯罪などの責任の所在を明らかにし、裁かれるために起訴されている戦争犯罪人でもあるからです。

 

この控訴審に対する最終的な判決は、今年201711月に宣告される予定となっています。こちらの裁判にも都合がつけば出席したいと思っています。

旧ユーゴ国際戦犯法廷にて、いつ裁判が開かれるのか知るためにはこちらにて確認する必要があります。同法廷にて開かれる裁判の数も残りわずかとなっていますが、オランダ在住で興味のある方は気軽に出席してみてはいかがですか?

 

旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷の詳細
公式サイト:http://www.icty.org/en(英語表記ページ)
住所:Churchillplein 1, 2517 JW, The Hauge, the Netherlands.

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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