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【8月15日】オランダの東インド戦没者慰霊式典に日本人として参列して感じたこと

【8月15日】オランダの東インド戦没者慰霊式典に日本人として参列して感じたこと

毎年8月15日は、日本で「終戦の日」として太平洋戦争の戦没者を追悼し、平和を祈念する日として重要な日となっていますが、遠く離れたオランダでも8月15日は特別な日となっていることをみなさんはご存知ですか?

 

オランダでは毎年8月15日は、太平洋戦争中にオランダの植民地国家だった旧東インド(現在のインドネシア)に侵攻した旧日本軍の支配に対して、闘って命を落とした兵士たち、抵抗したために収容所で命を落とした一般市民たちなどの戦没者を慰霊する記念日となっています。

そして、1970年代前半より毎年8月15日には戦没者を慰霊する式典が開かれており、1988年に当時のオランダ王国べアトリクス女王によって彼ら戦没者を慰霊するためにハーグに建てられた記念碑(東インド戦没者慰霊碑)の除幕式が行われてからは、この記念碑を前にして慰霊式典が開かれています。

8月15日にはオランダ国営放送にて、生存者や犠牲者家族のインタビューを通じて太平洋戦争中の旧東インドで起きていたことを後世に伝えるドキュメンタリー特集が組まれていたりしていました。

 

その一方で、毎年8月15日に開かれている東インド戦没者慰霊式典のことは日本メディアではまったく報道されておらず、多くの日本人にとって一度も耳にしたことのないものだと思います。日本が関係している歴史であるにもかかわらず。

今回の記事では、2017年8月15日にオランダのハーグで開かれた東インド戦没者慰霊式典に参列した感想と式典の様子、そしてインドネシア系オランダ人に言われた「慰霊式典に日本人として参列する意味」についてお話ししようと思います。

 

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旧日本軍とオランダ領東インド

太平洋戦争中のインドネシアの歴史

出典:http://www.pbs.org/frontlineworld/

太平洋戦争中に旧日本軍が日本中心による共栄圏ブロック(大東亜共栄圏構想)を作り、日本のアジア支配を正当化しようとして東・東南アジア諸国に侵攻した歴史を多くの日本人は知っているはずです。

しかしながら、旧日本軍の支配下だったアジア諸国で実際に何が起きていたのかを知っている人は非常に少ないのではないでしょうか?実際に、私も太平洋戦争中に旧日本軍が支配していた地域で行われていたことに関して、学校教育で詳しく学んだ記憶がほとんどありません。

では、旧日本軍が支配していた旧東インド(現在のインドネシア)では何が起きていたのでしょうか?

 

Wikipedia英語版に書かれた情報を大まかにまとめてみると、以下のようになります。ちなみに、こうした情報はWikipedia日本語版では記載されていません。

  • 約10万人のヨーロッパ系民間人(多少の中国人も含む)の抑留
  • オランダ、英国、豪州、米国軍人は収容所に送られ、死亡率は13~30%に達していた。
  • 国連の報告書によれば、飢餓と強制労働により約400万人が死亡、そのうち約3万人のヨーロッパ系民間人は抑留死
  • オランダ政府の調査によれば、約200300人のヨーロッパ出身女性が慰安婦として旧日本軍に勤務し、そのうち確実に65人の女性達は強制的に売春させられた。

 

私は、旧日本軍支配下の旧東インドでこのような悲惨な状況になっていたことは全く知りませんでした。もしオランダのハーグで生活し、東インド戦没者慰霊碑を偶然にも見かけていなかったら、決して知ることのなかった歴史だと思います。

※旧オランダ領東インドの歴史やこの慰霊碑に関する詳細は、以下の記事をご覧ください。

 

慰霊式典前日に抱えた不安

実はこの慰霊式典が行われる前日になって、私は慰霊式典に参列すべきかどうか悩んでいました。より正確に言うならば、加害者側だった日本出身の私が慰霊式典に果たして参列してもいいのかどうか悩んでいました。

なぜならば、この慰霊式典に参列する人の中には、前述した悲惨な状況の中で生き残った人や犠牲者家族の方々がいることが想定され、日本人である私が参列することによって彼らの心情に与える負の影響を考えていたからです。

また、太平洋戦争中の歴史から反日感情を募らせるオランダ人から、式典に参加する私に向かって「出て行け!」などと罵声を浴びせられるかもしれないという恐怖心もありました。

実際に、1991年に海部日本国総理大臣(当時)がオランダを訪問した際に、東インド戦没者慰霊碑に献花した花輪がインドネシア系オランダ人によって池に投げ捨てられた事件がありました。この事件から20年以上の時が経過しているとは言えど、私に対して感情を露わにするオランダ人がいても全く不思議ではありません。

隣の住宅に住む92歳のおじいちゃんからも、「太平洋戦争中に犠牲となったオランダ人やインドネシア系オランダ人家族、戦時中を経験してきた高齢者層の中には、現在も反日感情を持つ人は一定数存在する」という話を聞かされていただけに尚更でした

 

最終的には、こうした不安を抱えながらも当日の慰霊式典に参加することに決めました。

 

慰霊式典の様子

東インド戦没者慰霊式典が開かれた会場の様子

東インド戦没者慰霊式典が開かれた会場の様子 ※執筆者が撮影

慰霊式典当日の天候はあまりよくなく、式典が始まる12時頃から雨が降り出す予報になっていました。また、2017年のオランダの夏はほとんど気温が上がらない奇妙な天候が続いていたため、式典当日も少し肌寒さを感じました。

慰霊式典の開会は午後12時頃だったため、式典が始まる1時間ほど前に東インド戦没者慰霊碑がある広場に到着して、少し会場を見てみようと思いました。

会場に到着してみると1時間前にもかかわらず、すでに多くの人が集まっていました。会場には3つの座席部が設置されており、前方部は旧東インド(現在のインドネシア)を経験した当時の兵士や一般市民、犠牲者家族たち、そして政府関係者が座る座席。中間部はこの慰霊式典を運営する組織へ売上が寄付されるチケット購入者が座る座席。後方部は一般参列者が座る席となっていました。

私は事前にチケットを購入していなかったので、広報部の座席側の端で立ちながら慰霊式典の開会を待つことにしました。

 

オランダ軍服を着用して参列するオランダ系インドネシア人兵士たち

オランダ軍服を着用して参列するオランダ系インドネシア人兵士たち ※執筆者が撮影

時間を持て余していたので会場内を見渡してみると、式典参列者は半分がゲルマン系オランダ人、残り半分がインドネシア系オランダ人であることが分かりました。参列者の中には、家族に付き添われながら会場入りしている高齢者の方やオランダ軍服を着用するインドネシア系オランダ人の現役兵士たちが見受けられました。

また会場周辺を少し歩き回っていると、無意識にでも気づくことがありました。

それは、多くの人が私の顔を凝視してくることです。私は、ゲルマン系オランダ人でもなくインドネシア系オランダ人のような外見的特徴を持っていない典型的な東アジア系の顔つきであるため、会場内で一際目立っていたのかもしれません。

また、私のことを凝視する人の中には私が日本人であることを気づいていた人もいるでしょう。しかしながら、私に対して感情を露わにする人や罵声を浴びせる人は誰一人いませんでした

 

定刻通り12時過ぎに開会された東インド戦没者慰霊式典では、オランダ語ですべてが進行していきました。私はオランダ語を理解できないため、正確には何を話しているのかは分かりませんでした。しかしながら、しきりにオランダ語で聞こえてくる「ヤパン(日本の意)」という言葉が心に突き刺さる感覚がありました

私は太平洋戦争に参加した日本人兵士ではないものの、心のどこかで太平洋戦争での旧日本軍による行為に多少の責任や罪悪感を感じているからなのでしょうか。これまでにこのように感じたことがなかったので、理由は自身でもよく分かりません。

 

慰霊式典に参加するオランダ首相マルク・ルッテ氏

慰霊式典に参加するオランダ首相マルク・ルッテ氏(大型液晶画面にて) ※執筆者が撮影

この慰霊式典で印象的だったシーンがありました。

式典の途中で雨が降り出し、多くの人が会場内で配られたカッパや家から持参した傘をさしながら式典の進行を見守っていた中、式典に参列していたオランダ首相マルク・ルッテ氏をはじめとする政府関係者は誰一人として雨具を着用したり、傘をさしたりすることがありませんでした

また雨足が強まってきても、オランダ首相をはじめ政府関係者たちはまったく微動だにせず、ずぶ濡れになりながら最後まで式典に参列していました。この光景は、プーチン露大統領が第二次世界大戦中に亡くなった兵士を慰霊する式典に参加した際に、大雨が降るなか傘をささずにずぶ濡れになりながら花輪を供えた理由と同じような気がしました。

プーチン露大統領が傘をささなかった理由は、「第二次世界大戦中、ロシアの兵士はどんな天候だろうと昼も夜も戦った。人々はそこで暮らし、そこで死んだ。それはとても恐ろしい状況だ。」と答えています(こちらより引用)。

この理由と同様に、オランダ首相をはじめ政府関係者が雨具を着用したり、傘をささなかった理由は、太平洋戦争中の旧日本軍支配に対して闘争し犠牲となった兵士や一般市民たちへの敬意が込められていると思われます。

 

※プーチン露大統領がずぶ濡れになりながら慰霊式典に参加していた様子の動画

 

インドネシア系オランダ人との会話

慰霊式典閉会後に献花する人々の長い列

慰霊式典閉会後に献花する人々の長い列 ※執筆者が撮影

前述したように東インド戦没者慰霊式典の途中で雨が降り出してきたため、私も持参した傘をさして式典の様子を引き続き見守っていると、座席に座っていた一人の女性が立ち上がり、私のところにやって来て「傘の中に一緒に入れてくれないか」とオランダ語で聞いてきました。

オランダ語が分からなくとも、彼女が何を伝えたいのか分かった私は、彼女を傘の中に入れてあげると、彼女は笑顔で「ありがとう」と言ってきました。

すると、彼女は私に再度オランダ語で何か話しかけて来ました。それに対して、私はオランダ語を話せないことを伝えると、驚いた顔をした彼女は私に対して英語で質問してきました。

女性「どこ出身なの?」

私「日本出身ですよ」

 

その回答を聞くと、笑顔だった彼女の顔は一瞬にして真剣な顔になりました。そして、続けて以下のような質問をしてきました。

女性「なぜあなたは今日ここに来たの?」

私「(少し間を置いて)この戦争で犠牲となった人々に対して追悼したいと思ったからです。あと、戦争が2度と起きない平和を祈る一人として、そして一日本人として今日この場に来る必要を感じたからです。」

 

私がこの慰霊式典に参列する理由を聞いた彼女は、真剣な顔から朗らかな顔になって「それは素晴らしい行動よ」と一言だけ返事をしてくれました。

慰霊式典で用意された一連のプログラムが終えたあとに閉会のアナウンスがされ、彼女に一言だけ挨拶して帰ろうと思いました。

すると、彼女は私に向かって以下のように言ってきました。

彼女「今日この慰霊式典に参列してくれて本当にありがとう。インドネシア出身の一人として非常に嬉しく思います。そして、日本人のあなたが今日この慰霊式典に参列したことは、大きな意味があると思います。」

この言葉を彼女から直接聞いて、一人の日本人としてこの慰霊式典に参列して良かったと心の奥底から感じました。

 

まとめ

東インド戦没者慰霊碑に供えられた花束の数々

東インド戦没者慰霊碑に供えられた花束の数々 ※執筆者が撮影

東インド戦没者慰霊式典終了後には、一般参列者による献花の長い列ができていました。戦没者への追悼の意味を込めて花束を持参しましたが、式典が開催された当日ではなく翌日の午前中に慰霊碑のある広場へ再度向かいました。

式典の翌日でも慰霊碑の前には10人くらいの人々が献花するために集まっていました。私も持参した花束を供え、戦没者へ祈りを捧げるとともに、戦争のない平和な世界が訪れることを願いました。

 

東インド戦没者慰霊碑をじっと眺める老人

東インド戦没者慰霊碑をじっと眺める老人 ※執筆者が撮影

今回このように東インド戦没者慰霊式典に参列してきました。もしかしたら、日本人の私がこの慰霊式典に参列したことで、当時の東インドを経験した人や犠牲者家族の中には不愉快な思いをした人もいるかもしれません。そのため、日本人の私がこの慰霊式典に参列したことは間違いだったのかもしれません。

しかしながら、あるインドネシア系オランダ人女性から私が参列したことに対して感謝されたこと、そして「日本人の私が慰霊式典に参列したことは大きな意味がある」と言われたことから考えてみると、間違いではなかったのかもしれません。

太平洋戦争中に旧日本軍のアジア侵攻および支配によって生じた被害に対して、私のような若い世代が生涯に渡って償う責任があるとは思いません。しかしながら、実際に起きた負の歴史から目を背けるのではなく、その歴史を「知る・学ぶ」責任はあると考えています。

 

この東インド戦没者慰霊式典は毎年8月15日に開かれていますが、会場の広場に位置する東インド戦没者慰霊碑には日にちに関係なく献花するために訪れる人もいます。

ハーグ在住の方、ハーグを観光で訪れる方の中で時間に余裕のある方は慰霊式典開催日に関係なく、この東インド戦没者慰霊碑を訪れて、日本と直接関係のある旧東インドの歴史に触れてみませんか?また、各個人が持つ歴史観に関係なく、戦争で犠牲となった人々へ哀悼の意を捧げませんか?

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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