KOTARO JOURNAL

セルビア人居住区側から見る「コソヴォ」《前編》

セルビア人居住区側から見る「コソヴォ」(2012年時の物語)

「コソヴォを訪れたことがありますか?」

上記の質問に、YESと答える日本人はほとんどいないのではないでしょうか?その一方で、近年日本でも人気が高まるバックパッカー旅行を通じて、ヨーロッパ各国を巡る際にコソヴォを訪れる日本人も増えてきたように感じます。

 

コソヴォと言えば、1999年にコソヴォ紛争が起きた地域として多くの日本人にも認知されており、2008年にコソヴォはセルビア共和国からの独立を宣言しコソヴォ共和国となりました(セルビア共和国は現在も独立を認めていないため、セルビア共和国の視点からでは同国の一部であるコソヴォ自治州です)。

現在のコソヴォに居住する大部分の住民はコソヴォ系アルバニア人(近年ではコソヴォ人という表記も見かけられる)であるものの、セルビアとの国境付近に位置するコソヴォ北部コソフスカ・ミトロヴィツァを中心に少数のセルビア人が居住しています。

現在のコソヴォ地域では1213世紀にかけて中世セルビア王国が存続していましたが、14世紀後半からオスマン・トルコ帝国の支配下となりました。その後、18世紀前後にオスマン帝国がコソヴォにアルバニア人を入植させていき、コソヴォ居住民の大多数はアルバニア人となっていきました。この影響で、20世紀に入ってからコソヴォが再びセルビアの領土になってもなお、コソヴォ居住民に占めるアルバニア人が大多数である状況に変化はありませんでした。

 

 

今回の記事では、私が2012年7月にセルビア人居住区のコソフスカ・ミトロヴィツァ(アルバニア語:ミトロヴィツァ)を訪れた時に感じた印象と体験談をまとめたいと思います。

この記事の目的は、セルビア人居住区側から見た「コソヴォ」の状況や様子を多くの人に知ってもらうことです。多くのメディア記事や個人の旅行記事では「アルバニア人側から見たコソヴォ」が支配的であり、セルビア人居住区側から見たコソヴォに関する情報がほとんど見かけられないことが一つの動機になっています。

 

今から約5年前の話であることから、現在のコソヴォの状況と異なっていることは留意して下さい。

 

 

スポンサーリンク

「コソヴォに行く」ことを話したセルビア人の反応

セルビア首都ベオグラード中心地の様子(2011年8月時)

セルビア首都ベオグラード中心地の様子(2011年8月時)

旧ユーゴスラヴィア史、特にセルビア現代史に関心の強かった私は、大学在籍中に1年間のセルビア留学をしていました。その期間に、コソヴォ地域を実際に訪れて、コソヴォの現状を自分の目で確かめたいと思っていました。

ちょうど、その時に一人の友人もコソヴォに行きたいと言っていたので、大学の講義がすべて終了した後の7月にその友人と2人でベオグラードからバスでコソヴォへ行くことを計画しました。

コソヴォへ実際に行く前に、友人たちとの会話の中でこのコソヴォ旅行計画を話しました。

私がコソヴォに行くことを話したセルビア人友人の中には、否定的な意見を言ってくる人もいました。当時付き合っていたセルビア人女性(現在の妻)も否定的な意見を持っていました。

 

「なんでまた、危ない地域のコソヴォに行くんだ?」
「アルバニア人は危険だから、十分に注意した方がいい」

 

多くのセルビア人は一度もコソヴォを訪れたこともないし、実際にコソヴォ出身のアルバニア人と接したことさえありません。けれども、「コソヴォ=危険」「アルバニア人=危険」という意識を持っている人が多い印象を受けました。

これは、1999年のコソヴォ紛争でセルビア人とアルバニア人間の殺し合った直近の歴史が、多くのセルビア人の心の中にアルバニア人に対する民族憎悪やコソヴォ地域を危険視することに現在繋がっていることを感じ取りました。

上記の反応をするセルビア人の友人の中には、自由主義的な思想を持っている人もいます。けれども、コソヴォの話題やコソヴォとの政治・領土問題が表面化してくると、敏感になって反応し民族主義的な傾向を見せる時があります。

 

こうした反応が多かったから、「コソヴォに行く」という話をセルビア人友人たちに言うことを途中でやめました。そして、コソヴォから帰ってきた後もFacebookで撮影した写真を公開することもしなかったし、コソヴォの話をすることも控えました。

なぜならば、Facebook上で「アルバニア人居住区の観光=セルビア民族の裏切者」と捉える人もいるだろうし、コソヴォ旅行の話をしたところでセルビア人が求める感想は、「コソヴォがいかに危険な地域で、アルバニア人がどれほど危ない民族集団なのか」だからだと思ったからです。

 

 

ベオグラードからセルビア人居住区コソフスカ・ミトロヴィツァへ

セルビア人居住区のあるコソフスカ・ミトロヴィツァの地図

セルビア人居住区のあるコソフスカ・ミトロヴィツァの地図

私は友人と2人でベオグラードのバスターミナルからセルビア人居住区のあるコソフスカ・ミトロヴィツァまでの片道チケットを購入し、まだ外が暗い明け方4~5時発のバスに乗り込みました。

実際にはバスと言うよりもミニバンのような感じで、私たち以外に2~3人の人が乗り込んでいました。

 

前述したように、コソヴォは2008年にセルビアから独立を果たした共和国国家であるものの、セルビアはコソヴォの独立を認めずにセルビア国家の一部分という認識でいます。そのため、コソヴォ側から見たら国境は存在し、セルビア側から見たら国境は存在しません

そのため、友人の話ではコソヴォ入国時の国境チェックポイントでパスポートを提示した際にコソヴォ入国のスタンプを押されると、コソヴォからセルビアへ戻る際のセルビア「国境チェックポイント*」でこのコソヴォ入国スタンプが問題となる可能性が高いとのことでした。

※セルビア側からではコソヴォとの国境は存在しませんが、国境チェックポイントに値するものが存在しています。そのため、バスで行く場合ベオグラード→セルビア国境チェックポイント→コソヴォ国境チェックポイント→コソフスカ・ミトロヴィツァという流れになります。

 

コソヴォ出入国スタンプのセルビア当局による無効化

コソヴォ出入国スタンプのセルビア当局による無効化イメージ 出典:https://www.pri.org/

聞いた話によれば、セルビア「国境チェックポイント」での対処方法は、コソヴォ入国スタンプに✖印または無効スタンプをつけられるとのことでした。なぜならば、セルビア側からすれば「コソヴォ」という国は存在しないわけですから、無効なのです。

 

こうした問題に巻き込まれることも面白いと思い、楽しみにしていましたがコソヴォの国境チェックポイントでは、意外なことが起きました。

コソヴォの国境チェックポイントに到着して、国境警備隊がバスの中に乗り込んできました。そして、パスポートを提示するとコソヴォ入国スタンプは押されずにそのまま返還されました。友人のパスポート(カナダ国籍)も同様の対応をされました。

理由は定かではありませんが、私たちがコソヴォからセルビアに再度「帰国」する状況を考えたコソヴォ国境警備隊が、気を利かしてコソヴォ入国スタンプを押さなかったのか、はたまたスタンプを押すのが面倒くさかったのか・・・どちらにせよ、記念にコソヴォ入国スタンプを押してもらえなかったことは非常に残念でした。

この残念な結果により、コソヴォからセルビアへ同様にバスで帰国する際にセルビア国境チェックポイントで問題になることも全くありませんでした。

 

セルビア人居住区側のコソフスカ・ミトロヴィツァ

セルビア人居住区側から見る「コソヴォ」(2012年時の物語)

セルビア人居住区側のコソフスカ・ミトロヴィツァの象徴「この場所(今の現状)から引き返す方法なんてない」

コソヴォの国境チェックポイントを通過してから少し経つと、セルビア人居住区側のコソフスカ・ミトロヴィツァに到着しました。丁度お昼前くらいだったと記憶しています。

「国境」を超えたにもかかわらず、「セルビアの街だ」とすぐに感じました。なぜならば、バスから降りるとすぐに慣れ親しんだセルビア語での会話が聞こえたり、バス停の案内には慣れ親しんだセルビア語で表記されていたからです。

 

バスを降りて小さなスーツケースを転がしながら、とりあえず宿泊予定先のホテルの場所を探し始めます。当時はスマホなど持っていなかったので、GPSで場所を探すこともできません。

むやみやたらに探すのも時間の無駄なので、歩いている男性にセルビア語で声をかけて、ホテルがどこにあるのかセルビア語で質問をしました。男性は私がセルビア語で質問していることに驚く素振りを見せたものの、特に気にすることなく丁寧に場所を教えてくれました。ホテルはコソフスカ・ミトロヴィツァの一番大きな通りのすぐ近くにあることがわかりました。

ホテルの場所を目指して大きな通りを歩きながら街並みを見ていると、小売店やカフェなどの値段表記はセルビア共和国通貨のセルビア・ディナールであり、メニューはすべてセルビア語表記でした。

 

セルビア人居住区側のコソフスカ・ミトロヴィツァで宿泊したホテル

セルビア人居住区側のコソフスカ・ミトロヴィツァで宿泊したホテル

ホテルに到着し、カウンターの男性にチェックインをセルビア語で伝えて、セルビア語で部屋の場所の案内をされました。

ホテルの部屋に入り、ベッドに横たわり少し休憩をしました。

部屋の天井を見上げながら、この小一時間の出来事を頭の中で回想し、改めて強く感じました。

「ここは、セルビアだ!」

 

セルビア人居住区側から見る「コソヴォ」《後編》では、セルビア人居住区側とアルバニア人居住区側を分断するイバル川にかかる橋の様子とコソヴォに住むセルビア人少年たちと交流した物語を書きたいと思います。

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


記事が気に入ったら
Kotaro Journalを "いいね!"
Facebookで更新情報をお届け。

Kotaro Journal

関連記事一覧

  1. 旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷
  2. 低賃金で働くセルビア出身のDMM英会話講師たちが提起する問題
  3. 【オランダ開催】「スレブレニツァの虐殺」追悼記念式典で目の当たりにした人々の涙
  4. ベオグラードで最も古い「新墓地[Novo groblje]」を訪れる
  5. コソヴォ出身の歌手が世界で大ブレイクを果たしている!【リタ・オラ&ドュア・リパ】

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

執筆者のプロフィール

Kotaro

フリージャーナリスト&英語・セルビア語通訳者
ブログ運営者のプロフィール

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト

オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。

お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。

大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

お仕事の相談はこちら

詳細なプロフィール

セルビア中毒便り

海外送金にオススメ!

手数料激安の海外送金

最新の記事

  1. スリナム共和国の国旗
  2. 世界最大のピート・モンドリアン展ーハーグ市立美術館に行ってみよう!
  3. ヘヴィメタル初心者に聴いてもらいたいオススメ曲10選
  4. 低賃金で働くセルビア出身のDMM英会話講師たちが提起する問題
  5. 「平和の行進2018」&スレブレニツァの虐殺「23周年追悼式典」を写真で振り返る【オランダ・ハーグ】

海外旅行のホテル検索はこちら!

執筆者が推薦したい社会派記事



ピックアップ記事

  1. 初めての引越しで学んだオランダのアパート最新事情【ハーグ2017】
  2. ベオグラード観光中に「スリ被害」と「タクシーのぼったくり」に遭わない対策法
  3. 約250台のクラシックカーを展示しているローマン博物館のエントランス
  4. ナチス軍の生々しい歴史を展示するトポグラフィー・オブ・テラー博物館【ベルリン】
  5. 「ヒップスターの街」として映るユトレヒトの魅力

FOLLOW ME!!

ハーグ観光のお手伝い

ハーグ在住日本人がハーグ観光をお手伝い

PAGE TOP