KOTARO JOURNAL

旧ユーゴ紛争で破壊された宗教文化財に着目した特別展示会 in ハーグ

オランダ政治都市のハーグ市役所1階ホールにて、2018年4月4日から16日と2週間という短い期間に渡って、1991-1999年までに起きた一連の旧ユーゴスラヴィア紛争(以下、旧ユーゴ紛争)にて、破壊されたまたは損害が加えられたものの、国際的に注目を浴びてこなかった同地域の宗教文化財に焦点を当てた特別展示会「Targeting Monuments – Targeting History and memory」が行われています。

今から2ヶ月前には、2017年度末に完全閉廷した旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷を題材にした写真展示会「Yugoslavia behind the dunes – A look behind the scenes of the Yugoslavia tribunal」が開かれていました。

上述した旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷を題材にした写真展示会の詳細は、以下の記事でまとめています。

 

今回の特別展示会で焦点が当てられている旧ユーゴ紛争中に破壊・損害が生じた宗教文化財とは、旧ユーゴ地域で文化的・宗教的に重要文化財として国または街、そして歴史の一部として重要視されてきた建造物を指します。

旧ユーゴスラヴィア紛争に関心を持つ人の中には、ボスニア南部の観光都市モスタルで世界遺産登録されている「スターリ・モスト(日本語:古い橋)」が旧ユーゴ紛争中に爆破・破壊されていた歴史を聞いたことがあるのではないでしょうか?(現在の橋は2004年に再建されたもの)

今回の特別展示会で焦点が当てられているものは、この「スターリ・モスト」のような歴史的に重要な建造物になります。

 

実は旧ユーゴスラヴィア史を研究していた私自身、旧ユーゴ紛争で破壊された宗教文化財に特別着目して考えたことがなく、今回の展示会を通じて、新たに知ることがたくさんありました。

今回の記事では、特別展示会「Targeting Monuments – Targeting History and memory」を観覧した際に撮影した写真とともに、旧ユーゴ地域で破壊された宗教文化財について情報を共有したいと思います。

 

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展示会の導入

展示会の導入

展示会の導入 ※執筆者が撮影

展示会「Targeting monuments – Targeting History and Memory」は、1991-1999年に起きた旧ユーゴスラヴィア紛争中にボスニア・ヘルツェゴヴィナとクロアチア、コソヴォにて、組織的に破壊された文化的・宗教的建造物に着目しています。

この展示会は、旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ICTY)にて文化的・歴史的・宗教的遺産に対する罪がどのように捜査され、法廷内で再現され、そして裁判が進行していったのかを伝える対話的な物語形式に基づいています。

この展示会は、裁判で進行した以下のような刑事事件から構成されています。ドゥブロヴニク旧市街の集中砲火、サラエヴォの国立図書館(旧市役所)の全焼、モスタルのスターリ・モストの破壊、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国内の宗教文化財の破壊、そしてコソヴォ地域内の宗教文化財の破壊が紹介されています。

また、例として、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソヴォ内の建築物のうち、裁判で取り上げられなかった建造物の破壊も取り上げています。これらの建築物のうち、クロアチア国内の「人民解放運動と反ファシズム闘争の記憶モニュメント」に与えられた数々の攻撃が、際立って有名です。

しかしながら、これらの宗教文化財の破壊すべてに対して、誰も責任を咎められていません

出典:”Targeting Monuments – Targeting History and Memory”, denhaag.com
※執筆者が翻訳

 

展示会の様子

ドゥブロヴニクの旧市街

ドゥブロヴニクの旧市街①

ドゥブロヴニクの旧市街① ※執筆者が撮影

クロアチアで最も有名で大人気な観光スポットになっているドゥブロヴニクの旧市街は、旧ユーゴ紛争中の初期(1991-92年)に約7ヶ月間に渡って、クロアチア独立を許さない旧ユーゴスラヴィア人民軍(JNA)によって砲撃が加えられました。

街全体が世界遺産に登録されているドゥブロヴニク旧市街は、この砲撃によって大きな損害を被りました。

展示会のパネルによれば、旧市街にある300以上の家屋、19ヶ所の宗教的建築物、10ヶ所の公共建築物に損害が与えられたと伝えています。

 

ドゥブロヴニクの旧市街②

ドゥブロヴニクの旧市街② 旧ユーゴスラヴィア人民軍による砲撃で被害を被った建造物の場所を示す航空地図

ドゥブロヴニクの旧市街③

ドゥブロヴニクの旧市街③ 砲撃により大きな黒煙を上げるドゥブロヴニク旧市街

ドゥブロヴニク旧市街への砲撃は、旧ユーゴスラヴィア人民軍の将軍に対する裁判で、「宗教やチャリティー、教育、芸術、科学に寄与する施設や歴史的建造物、芸術と科学の作品に対する破壊または計画的な損害」として認定されました。

 

 

サラエヴォの国立図書館(旧市役所)

サラエヴォの国立図書館①

サラエヴォの国立図書館① ※執筆者が撮影

ボスニアの首都サラエヴォは、旧ユーゴ紛争で最も悲惨な戦場だった街であり、サラエヴォ市の周りに配置されたスナイパーから身を隠して逃げまどうサラエヴォ市民の写真が、最も象徴的なのではないかと思います。

展示会で焦点が当てられたのは、国立図書館になります。

この国立図書館の建物は、サラエヴォがオーストリア=ハンガリー帝国時代の1896年に建造された文化財であり、サラエヴォ市内で最も重要な建造物だったとされています。第一次・第二次世界大戦頃は、この国立図書館はボスニア国会やサラエヴォ市役所などとして利用されていました。

こうした背景からも、どれだけ歴史的に重要な建造物だったかを思い知ることができます。

 

サラエヴォの国立図書館②

サラエヴォの国立図書館② ※執筆者が撮影

国立図書館の炎上は、何百万もの書物を破壊したことにより、このニュースは世界中に一気に広まるとともに、国際的な怒りと非難を巻き起こしました。そして、国立図書館に対する砲撃は、サラエヴォの「文化的断絶」行為であり、「ボスニアの歴史を消去する」狙いがあったとして認定されました。

 

サラエヴォの国立図書館③

サラエヴォの国立図書館③ ※執筆者が撮影

しかしながら、サラエヴォの「文化的断絶」と「ボスニアの歴史を消去する」を狙った行為で咎められたものはいませんでした。

 

 

モスタルのスターリ・モスト

モスタルのスターリ・モスト①

モスタルのスターリ・モスト① ※執筆者が撮影

旧ユーゴ紛争中に破壊された歴史的な建造物のうち、最も有名なものがこのモスタルのスターリ・モスト(日本語:古い橋)だと思います。この橋は、16世紀に建造されたオスマン帝国時代の橋になります。

ボスニア紛争中だった1993年に、ボスニア系クロアチア軍の砲撃によってスターリ・モストは破壊されました。破壊された橋の部分が川に落ちた際には、川が紛争で流れる血のように赤く染まったという伝説があります(赤く染まった理由は、橋内部に使われている材質の影響)。

 

モスタルのスターリ・モスト②

モスタルのスターリ・モスト②

スターリ・モストは、その文化的・歴史的な背景から旧ユーゴスラヴィア時代のときから国民にとって特別な重要性を持つ建造物として認識されていました。

 

モスタルのスターリ・モスト③

モスタルのスターリ・モスト③

旧ユーゴ国際戦犯法廷の捜査では、スターリ・モスト破壊に関与したボスニア系クロアチア軍のリーダーたちが起訴されたものの、この破壊は歴史的建造物の破壊として認定されず、「教育と宗教に寄与した施設の破壊」という起訴名称の一部にとどまりました。

 

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ①

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ① ※執筆者が撮影

歴史的・文化的・宗教的建造物の破壊が最も凄惨な状況で初めて発生したのは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでした。

当時の国連担当者が断定することによれば、ボスニア地域で行われた文化遺産破壊の目的は、特定の民族または宗教グループが持つ文化的・社会的・宗教的アイデンティティのすべてを断ち切るためだったとしています。

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ②

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ② 旧ユーゴ国際戦犯法廷で起訴された宗教文化財の破壊が行われたボスニア国内の街 ※執筆者が撮影

ボスニア地域で行われた文化的・宗教的遺産の破壊は、殺人罪や強制退去などといった他の罪とともに16件の審議で起訴状に含まれました。起訴された人物の中には、ボスニア系セルビア人やボスニア系クロアチア人の政治家や軍人、警察官だけでなく、ボスニア系ムスリム人(ボシュニャク人)が率いる軍の指揮官も含まれていました。

このことから、ボスニア紛争に関与した全て3つの民族が、敵対する民族に関連する文化的・宗教的遺産の破壊に関与していたこととなります。

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ③

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ③ ボスニア系クロアチア軍の兵士によって破壊されたモスク

ほとんどの裁判において、ボスニア地域で行われた文化的・宗教的建造物の破壊として認定されたものは、政治的・民族的・宗教的な観点による迫害の要素があったとして、差別的意図をもって行われたと判決が出されています。

 

 

コソヴォ

コソヴォ①

コソヴォ① ※執筆者が撮影

旧ユーゴ国際戦犯法廷の検察官たちは、コソヴォ系アルバニア人の強制追放と殺害などに関与したスロボダン・ミロシェビッチ被告の捜査に全力を注いでいたがゆえに、コソヴォ地域で発生した文化的・宗教的建築物の組織的な破壊を捜査することに失敗しました。

しかしながら、2人のアメリカ人学術研究者の尽力により、文化的・宗教的建築物の組織的な破壊の証拠が旧ユーゴ国際戦犯法廷にもたらされ、最終的にコソヴォ紛争に関連する3件の裁判で使用されました。

 

コソヴォ③

コソヴォ② コソヴォ紛争中に破壊された文化的・宗教的建築物の数量を示す地図 ※執筆者が撮影

これら3件の裁判で使用された証拠によれば、コソヴォ地域のイスラム共同体によって登録されていた607ヶ所の宗教施設(モスクなど)のうち約225ヶ所が完全に、または部分的に破壊されました(旧ユーゴスラヴィア人民軍によって)。

この起訴に関して、獄中死し最終的な判決を受けていないミロシェビッチ被告の裁判以外の2件で、有罪が立証されました。

 

コソヴォ③ コソヴォ地域で16世紀中頃に建造されたセルビア正教会のイコン画に加えられた損害 

コソヴォ③ コソヴォ地域で16世紀中頃に建造されたセルビア正教会のイコン画に加えられた損害

セルビア政府側を支援する弁護士たちによれば、コソヴォ地域のセルビア正教会施設もまた破壊の目標とされ、1999年のコソヴォ紛争中に80ヶ所以上の教会と修道院が攻撃を受けたという報告が挙がっていました。

しかしながら、これらの攻撃の大部分はコソヴォ紛争の終結をもたらしたクマノヴォ合意後に起きたものであり、旧ユーゴ国際戦犯法廷が捜査および戦犯者の起訴プロセスにも終了をもたらしたものであったがゆえに、旧ユーゴ国際戦犯法廷ではセルビア正教会や修道院の破壊に関連したことが一度も言及されたことはない。

この点が、現在もセルビア人がコソヴォ紛争において納得の言っていない点でもあります。

 

 

立件されていない宗教文化財の破壊

立件されていない破壊①

立件されていない破壊① ※執筆者が撮影

これまでに挙げてきた歴史的・文化的・宗教的建造物の破壊は、その責任を咎められたものはいなかったものの、旧ユーゴ国際戦犯法廷で起訴された戦犯者の裁判で立件されてきました。

その一方で、旧ユーゴ紛争中に発生した破壊の規模に対して、最終的に立件するまでに至った事件の数は非常に限られたものでした。

 

立件されていない破壊②

立件されていない破壊② クロアチア東部のブコヴァル ※執筆者が撮影

立件されていない破壊③

立件されていない破壊③ クロアチアのセルビア正教会 

例としてクロアチアで起きた事件を見てみると、旧ユーゴ国際戦犯法廷で取り上げられた事件は旧ユーゴスラヴィア人民軍によって砲撃で破壊されたドゥブロヴニク旧市街だけになります。

しかしながら、例えばクロアチア東部の街ヴコヴァルで起きた文化遺産の破壊やクロアチア全土のローマ・カソリック教会とセルビア正教会に対する数々の攻撃はまったく立件されてきませんでした。

こうした状況は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとコソヴォでも同様の状況となります。

 

立件されていない破壊④

立件されていない破壊④ 破壊された「人民解放運動と反ファシズム闘争の記憶モニュメント」 ※執筆者が撮影

 

 

まとめ

展示会で配布されているパンフレット

展示会で配布されているパンフレット ※執筆者が撮影

今回の展示会は、これまでに考えてきてこなかった目線、つまり歴史的・文化的・宗教的建造物の破壊の歴史を通じて、旧ユーゴスラヴィア紛争を考える良いきっかけになりました。

こちらの展示会は、2017年にクロアチアの首都ザグレブとリゾート地プーラ、セルビアの首都ベオグラード、そしてボスニアの首都サラエヴォで開催されていたようです。展示内容から考えて、この中にコソヴォが含まれていないことに不自然さを感じるものの、後日開かれるかもしれません。

 

ハーグ市役所で開かれている展示会は期間限定のものであるものの、展示内容はより詳細な内容は企画製作者であるSENSEがこちらのページですべてを公開しています(英語表記あり)。

関心のある方は是非のぞいてみてください!

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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