KOTARO JOURNAL

意外と知らないオランダとセルビアの関係②-オランダ軍とボスニア紛争で起きた悲劇-

スレブレニツァの虐殺

「意外と知らないオランダとセルビアの関係」第1弾の『旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷』に続いて、第2弾として『オランダ軍とボスニア紛争で起きた悲劇=スレブレニツァの虐殺』についてお話しようと思います。

第1弾『旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷』については、以下の記事を参照してください!

 

第2弾も第1弾同様に、旧ユーゴ紛争と関連する話になってしまいます。このように悲しい出来事だけを取り上げて、オランダ・セルビア両国に関連する記事を書きたいわけではないんですけどね。

 

スポンサーリンク

ボスニア紛争で起きた悲劇-スレブレニツァの虐殺-

スレブレニツァの虐殺

正直に言って、多くの日本人の方がこの「スレブレニツァの虐殺」を聞いたことがある、詳細を知っているわけではないと思います。1990年代に起きた一連の旧ユーゴ紛争であったり、NATOによるセルビア空爆といった出来事は当時日本国内のメディアでも盛んに取り上げらており、多くの日本人の方も知っているはずです。

しかし、この「スレブレニツァの虐殺」は旧ユーゴ紛争が終了し、紛争中の戦争犯罪人を法で裁く旧ユーゴ国際戦犯法廷で取り上げられた時間差の影響で、日本国内のメディアではあまり取り上げられなかったことが原因なのではないかと思います。

「スレブレニツァの虐殺」は、第2次世界大戦以降のヨーロッパで最大の大量虐殺と言われており、2007年に旧ユーゴ国際戦犯法廷にてジェノサイド(特定の集団等に対する抹消行為、大量虐殺を指す)として認定されました。
(ジェノサイドの事例:ホロコースト、ルワンダ紛争での虐殺、アルメニア人虐殺等)

では、一体何が起きたのか。

ボスニア紛争中の最中であった1995年7月にボスニア東部に位置する町スレブレニツァにて、ボスニア系セルビア軍(スルプスカ共和国軍)によって約8,000人の一般市民であるムスリム人(ボシュニャク人)が大量虐殺されたのです。

※「ムスリム人」とは、第2次世界大戦後の旧ユーゴ連邦時代に同国領域内に居住するイスラム教徒を指す。ボスニア国内に居住する「ムスリム人」は、旧ユーゴ崩壊後に自民族の名称を変更し、「ボシュニャク人」と称するようになった。一般的に「ボスニア人」はボスニア国内に居住するすべての国民を指すことから、「ボシュニャク人」とは区別される。

※この虐殺を行ったのは当時のボスニア系セルビア軍であり、セルビア人が中心となる民兵組織サソリも関与していたものの、2007年に国際司法裁判所はセルビア国家(当時旧ユーゴ)の直接的関与があったことを否定する判断を下しています。この記事タイトルでは、「オランダのセルビアとの関係」としていますが、意図する正確な内容は「オランダ国家とボスニア系セルビア人国家(スルプスカ共和国)」になります。

 

スレブレニツァの虐殺が起きる前の状態

スレブレニツァの位置

スレブレニツァの位置 出典:Balkansnet

ボスニアの主要民族であるムスリム人、セルビア人、クロアチア人が互いに領土を争い合いの泥沼化していたボスニア紛争。ボスニア東部の現在のセルビアとの国境に位置するスレブレニツァ付近は、セルビア人側にとって戦略的に重要な拠点であることから積極的にこの地域一帯にすむムスリム人側を攻撃し、地域から追い出そうとする「民族浄化」作戦を行っていました。

ムスリム人側もセルビア人側の攻撃から領土を保守するために戦いましたが、セルビア人側の攻撃に押され後退し、徐々に領土を失っていきました。そうした状況の中、セルビア人側の攻撃から逃れるために多くのムスリム人がスレブレニツァの町へ逃げたことにより、町の人口が大幅に増加したことにより人口過多状態に陥りました。

当時のスレブレニツァはセルビア人側の包囲され孤立した状態となっており、水や食糧が不足してパニック状態に陥る住民もいたそうです。そうした状況から国連安保理がスレブレニツァを「安全地帯」と指定し、一切の武力行為を禁止しました。そして、600名の国際連合保護軍(UNPROFOR)がスレブレニツァに派遣され、平和維持を目的として事態の安定化に努めました。

しかしながら、スレブレニツァが「安全地帯」と指定されたものの、ボスニア系セルビア人側はスレブレニツァを奪取するために攻撃を開始し、国際連合保護軍の抵抗むなしくスレブレニツァはボスニア系セルビア人軍によって制圧されてしまいました。

 

国際連合保護軍が駐留する中での民族浄化と虐殺の始まり

セルビア系兵士の監視下のもとスレブレニツァから逃げ出すムスリム人女性や子供達

セルビア系兵士の監視下のもとスレブレニツァから強制移送されるムスリム人女性や子供達

ボスニア系セルビア人軍が侵入し、制圧されてしまったスレブレニツァでは多くの住民や避難民がパニック状態になり、大混乱に陥りました。そして、国連保護軍の本部があるサラエボからの輸送ルートがボスニア系セルビア人によって遮断されていたために、武器不足になっていた国連保護軍はボスニア系セルビア人に対抗することが出来ず、ムスリム人に対する民族浄化と虐殺が行われ始めました。

民族浄化の一つとして、約2万5千人のムスリム人女性や子供達がムスリム人支配地域へと強制移送されました。そして、スレブレニツァに残された男性達の運命は・・・言わなくてもお分かりになると思います。そして、この悲劇は国連保護軍が駐留する中で起きてしまいました。

これまでに説明してきた内容を、以下のビデオで当時の映像と共に簡単に理解することが出来ます。

 

オランダ軍とスレブレニツァの虐殺の関係

ボスニア紛争地で国連平和維持軍として活動していたオランダ軍ダッチバット

ボスニア紛争地で国際連合保護軍として活動していたオランダ軍部隊ダッチバット

この記事タイトルに「オランダ軍」と記載していますが、これまでに説明してきた「スレブレニツァの虐殺」と何が関係あるのと思っている方がほとんどだと思います。

実は、国連安保理によって「安全地帯」とされたスレブレニツァに派遣された国際連合保護軍は、オランダ軍部隊だったのです。彼らは平和維持を目的に派遣されたものの、結果的にはスレブレニツァに駐留しながらもボスニア系セルビア軍による民族浄化や虐殺を食い止めることが出来なかったことで、オランダ国内だけでなく国際社会から批判を浴びることとなってしまいました。

当時のオランダ軍部隊の活動をまとめたドキュメンタリー集動画があります。長い動画なので興味のある方のみ見て下さい。

 

こうした国内外の批判が強まった理由として、ボスニア系セルビア軍によってスレブレニツァが制圧された後に、オランダ軍司令官トーマス・カレマンス(以下、カレマンス)とボスニア系セルビア軍参謀総長ラトゥコ・ムラディチ(以下、ムラディチ)との交渉会合で軍司令官として弱気な姿勢を取っていたことや、当地で民族浄化や虐殺が行われていたにもかかわらずオランダ軍部隊員たちが愚かな行動をしていたことも影響していたと思われます。

オランダ軍部隊長トマス・カレマンス

オランダ軍部隊長トマス・カレマンス

※「スレブレニツァの虐殺」を指示し直接関与した戦争犯罪人のムラディチは、旧ユーゴ国際戦犯法廷から「人道に対する罪」で訴追されたものの逃亡を図り、2011年にセルビア国内で逮捕・ハーグへ送還された。2016年末に検察が終身刑を求刑し、2017年11月に刑が確定する予定。

 そして、こうした一連の会合や行動が映像として残っています。

 

カレマンスとムラディチの交渉会合

①3分ショートVer(会話:英語とセルビア語、字幕:オランダ語)

②40分ロングVer(会話:セルビア語、英語、字幕:英語) 

 

①ショートVerでは、会話の全体像が見ることが出来ないので以下に前半の会話内容をまとめてみます。

ムラディチ:(ボスニア系セルビア軍がスレブレニツァに侵入する際に、NATO軍から空爆を受けたことに対して)我らの軍に対して空爆の攻撃を指示したのはお前か?

カレマンス:いえ、空爆の指令はオランダ軍部隊ではなく、ニューヨークに本拠地のある国連からです。

ムラディチ:じゃあ、我らの軍に対してオランダ軍部隊の攻撃を指示したのはお前か?

カレマンス:はい、それは私が指示しました。でも理由を説明しなければなりません。武力行為をする場合は、ボスニアの国連本部の許可が必要です。そして、我々オランダ軍部隊が攻撃を受けた等の状況次第で武力行為の許可が出る場合に限り、武力行為の指令が出せます。最終的には私が指令を出しましたが、決断したのは私ではなく、国連です。

①ショートVerでは、こうした歯切れの悪い回答に激高し声を荒げるムラディチに対して、たじろぐカレマンスの様子が分かります。

そして②ロングVerでは、会合の途中でムラディチよりタバコを勧められて一緒に吸っている様子や、会合が終わる頃(映像35分辺り)に共に笑顔で乾杯をしてお酒を飲む姿が映し出されています。

ムラディチとお酒を飲むオランダ軍部隊

ムラディチとお酒を飲むオランダ軍部隊 出典:Alchetron.com

実はこの乾杯をする前に、下記のような会話がなされていました。

ムラディチ:ムスリム人は私達の作戦の目的ではない。彼らの代表との会合をこぎつけろ。そして、彼らに2つの選択肢を用意する準備があると伝えてくれ:スレブレニツァから去るか、残って全員死ぬか、だ。

ムラディチによる過激な発言を受けた後に、平然と笑顔でお酒を飲むオランダ軍司令官カレマンスの姿は、多くの人に情けない姿として捉えられたはずです。

次のページでは、スレブレニツァの虐殺が起きたあとにオランダで大きな政治問題に発展してしまった内容をまとめています。

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


記事が気に入ったら
Kotaro Journalを "いいね!"
Facebookで更新情報をお届け。

Kotaro Journal

関連記事一覧

  1. コソヴォについて知られていない7つの事実
  2. アルバニア語を学ぶセルビア人学生ミレナ・ベラン
  3. セルビアはヨーロッパで最も人種差別が少ない国なのか?
  4. 【スレブレニツァの虐殺】「平和の行進」で参加者が訴えたいメッセージとは?
  5. 平均月給500ユーロ以下のセルビアに、世界一値段が高いクリスマスツリーが出現!その値段がヤバイ!

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

執筆者のプロフィール

Kotaro

フリージャーナリスト&英語・セルビア語通訳者
ブログ運営者のプロフィール

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト

オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。

お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。

大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

お仕事の相談はこちら

詳細なプロフィール

セルビア中毒便り

海外送金にオススメ!

手数料激安の海外送金

最新の記事

  1. 意外にも驚かれるセルビア4つの真実
  2. 映画"The New Barbarianism":戦地で従事する医療機関・医療従事者をどうやって保護するか?
  3. ニューオーリンズ観光で超絶オススメしたい観光スポット7選
  4. ジャクソン・スクウェア
  5. 創造性豊かなオランダが誇る歴史上の発明品10選




執筆者が推薦したい社会派記事



ピックアップ記事

  1. 旧ユーゴ国際戦犯法廷の裁判を傍聴してみた感想とレポート(2017年5月3日)
  2. 【引越し前】オランダでの引越し手続き&やることリスト
  3. ベオグラードのインスタ映えするおしゃれカフェ3選

FOLLOW ME!!

ハーグ観光のお手伝い

ハーグ在住日本人がハーグ観光をお手伝い

PAGE TOP