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大量虐殺が起きたスレブレニツァを「悲劇の街」から「希望の街」へ変えるプロジェクト

大量虐殺が起きたスレブレニツァを「悲劇の街」から「希望の街」へ変えるプロジェクト

【こちらのクラウドファンディング・プロジェクトの支援金募集は終了しました】

 

皆さんは、ボスニア東部にある街スレブレニツァを聞いたことがありますか?

もし聞いたことがある多くの人は、第二次世界大戦後のヨーロッパで最大の大量虐殺が起きた悲劇の場所として、この街の名前を知るようになったと思います。私もそのうちの一人です。

この悲劇は「スレブレニツァの虐殺」と言われており、ボスニア紛争中だった1995年にスレブレニツァの街でボスニア系セルビア軍によって、民間人のムスリム人約8千人が短期間で虐殺された事件を指しています。

※「スレブレニツァの虐殺」の詳細に関しては、以下の記事を参照して下さい。

 

この「スレブレニツァの虐殺」だけでなく、一連の旧ユーゴ紛争が起きてから20年以上の年月が経っているものの、異なる民族間(主にセルビア人・クロアチア人・ムスリム人間)の緊張や民族憎悪というものは、残念ながら未だに消え去っていません1990年代の紛争を実際に体験していない若者の間でも、偏狭な民族主義思想に囚われて、一度も接したことのない他民族に憎悪を募らせてしまう者もいます。

このように、過去に起きた悲劇から他民族に対する憎悪に囚われてしまいがちな人々がいる地域がある一方で、一連の旧ユーゴ紛争で最大の悲劇が起きた街として有名なスレブレニツァで、明るい未来のためのプロジェクトが進行しています!

 

未来志向のムスリム人・セルビア人が混在した若者グループがクラウドファンディングを通じて支援金を募り、過去に注目しがちで「非劇の街」というマイナスの印象から、明るい未来が待つ「希望の街」というプラスの印象へスレブレニツァを変えようとする大きなプロジェクト(「希望の街」プロジェクト)を計画しています!

スレブレニツァ-「希望の街」プロジェクト

スレブレニツァ-「希望の街」プロジェクト 公式サイトはこちら

 

この「希望の街」プロジェクトを簡単に説明すると、スレブレニツァに中世ボスニア風の家を再現した宿泊型ホステル「ネイチャーズ・ハウス」を建設し、この街を訪れる観光客にスレブレニツァの豊かな自然を再発見してもらうことで新たな魅力を伝えると同時に、この観光業の収入全部をスレブレニツァの街に戻って来た市民に対する経済・文化的支援に当てることです。

そして、「ネイチャーズ・ハウス」の建設が完成して正式に活動が始まった後に、このクラウドファンディングへの支援金に賛同してくれた方には、支援金を寄付してくれた特典として、「ネイチャーズ・ハウス」への宿泊券やスレブレニツァ周辺の山や川といった豊かな自然巡るガイドツアー券が貰えます!(詳細は記事の後半にて紹介しています)

スレブレニツァ周辺を流れるドリナ川の峡谷

スレブレニツァ周辺を流れるドリナ川の峡谷 写真提供:Irvin Mujčić

 

私はソーシャルメディアを通じてこのプロジェクトの詳細を知り、旧ユーゴスラヴィア地域の若者たちが互いに共存していく地域社会を望む者として、是非このプロジェクトをサポートしたいと思っています。

その強い思いから、プロジェクトの中心的存在であるイルヴィンの了解を得て、このプロジェクトの概要を日本語で紹介することで多くの日本人の方に賛同してもらい、プロジェクトの立ち上げに協力して頂ければと思っています。

 目標金額は、15,000ユーロに対して2017年4月20日(木) 現在の支援金合計は2,090ユーロとなっています。残り期限は67日と十分な日数が残っていますが、この記事を読んで下さっている皆さんのお力添えを頂きたいと思っています。

 

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「希望の街」プロジェクトの中心的存在:イルヴィンの決意

「希望の街」プロジェクトの中心的存在:イルヴィン

「希望の街」プロジェクトの中心的存在:イルヴィン 写真提供:Irvin Mujčić

この「希望の街」プロジェクトの中心的存在は、イルヴィン・ムイチッチだ。彼の民族的出自はボスニア系ムスリム人(ボシュニャク人)であるものの、自身を広義のボスニア人(ボスニア生まれの意)またはユーゴスラヴィア人(南スラヴ人の意:旧ユーゴ時代に作られた民族名)であると認識していると私に話してくれた。

現在29歳のイルヴィンは、スレブレニツァで生まれたものの人生の大半をイタリアで過ごした。実は、イルヴィンもまたスレブレニツァの虐殺の被害者家族の一人だ。父親と叔父をスレブレニツァの虐殺で失っている

こうした悲しい過去を持つイルヴィンは、他民族に対する憎悪に囚われずにセルビア人とムスリム人が共存して生活を送れるように奮闘する意欲と活力を持ち合わせている。

 「他人に対して憎悪を募らせることに人生を見出してはいけない。僕達はみな、1990年代の紛争で大きな代償を払ったんだからね。
 僕にとって、彼がセルビア人なのかムスリム人なのか、モスクに行くのか教会に行くのかなんて全く重要ではないんだ。僕は人の内面だけを見ている。宗教的違いは単なる文化的財産だと思う。
 スレブレニツァには200mの範囲内に正教会やモスク、カトリック教会があったりする街なんだ。ヨーロッパのこんな小さな場所に、そんな状況があるんだよ。けれども、僕達はどれだけ豊かな文化的財産や豊富な知恵がここにあるのかを簡単に忘れてしまう」

 

20年以上に渡ってイタリアで生活をし、人権保護に関するプロジェクトを通じてエジプトやチュニジア、ベルギーなどで仕事をしていたイルヴィン。

では、なぜスレブレニツァに戻ることを決断したのだろうか?

 「これまでに訪れてきた場所は、どこも美しかったよ。けれども、常に心の中で違和感のようなものを感じていた。いるべき場所はここじゃない、とね。
 時々、スレブレニツァの実家へ歩いて帰っていた昔の夢を見たりしていたよ。7年の時を経てスレブレニツァの街を訪れた時、この街が7年前よりも更に状況が悪化している光景を信じることができなかったよ。
 このことが影響して、自分に問いかけたんだ。僕のような若い世代、特に平和が維持された国で生活し、勉学に励むことができた若者に何が出来るんだろうか、とね。
 そして、スレブレニツァに帰って自身の知識を活用しながら故郷のために何か行動をする必要があると、僕は結論を出したんだ。なぜならば、このスレブレニツァの街は他の場所よりも、もっと多くのことがなされる必要がある街だと思うからね。」

 

ドイツ系メディアの取材の最後に、イルヴィンはこのプロジェクトを通じて世界に発信したいスレブレニツァのイメージと彼が伝えたいメッセージを、以下のように話している。

「スレブレニツァの一般的なイメージは紛争と苦難の場所であり、それは否定できない真実だよ。
 でも、スレブレニツァで一週間過ごしてもらえれば、セルビア人とムスリム人の多くの若者が一緒に生活していたり、一緒にコンサートに行ったり、一緒にロックバンドを結成したり、一緒にサッカーをしている光景を目にするはずだ。このスレブレニツァの光景は世界で全く受け止められていないけれども、この光景こそがスレブレニツァの最も大切な財産なんだ。
 僕は次のメッセージを世界に発信したいと思っている。

「もし僕たちがここで共存して生活することができるなら、世界中どこの場所でも同じことが可能だ!」

※太字は執筆者が強調したい箇所を指します
※”Bogatstvo Srebrenice: Mladi koji žive zajedno“/DWより執筆者翻訳・引用(アクセス日:2017年4月20日)

 

紛争後のスレブレニツァが抱える問題

現在のスレブレニツァの街並み

現在のスレブレニツァの街並み 写真提供:Irvin Mujčić

今やスレブレニツァは、1995711日のジェノサイドで世界的に有名である。

しかしながら、紛争が起きる前はどんな街だったのだろうか?

実は、スレブレニツァは温泉とその効能で有名な街だった。そして、花の街、文化の街、アートフェスティバルの街であったスレブレニツァは、異なる宗教・民族的背景を持つ人々が平和に共存することで特徴的な街だった。また、スレブレニツァは旧ユーゴスラヴィア国家の中で3番目に生活水準が高い街でもあった。

では、現在のスレブレニツァはどんな街なのだろうか?

現在のスレブレニツァは、1995711日の日付で時間が止まってしまった状態が続いている失われた楽園だ。花の街にはほこりが被り、市民の半分が街を見捨ててしまった。個人の家や公共施設は、まるで数日前に紛争が終わったかのように部分的に崩壊している。

もはや、観光客は温泉の効能によって身体や精神の疲れを休めたり、人の手が加われていない自然を楽しむためにスレブレニツァを訪れていない。ほとんどの観光客は、ジェノサイドの記念碑施設を訪れるためにこの街を訪れている。

ゴーストタウン化する未来が近付くスレブレニツァの街は、暗く、生命が感じられない廃墟となった野外博物館のようになっていく危険性を抱えている。

※太字は公式サイトで強調されている箇所を指します
※公式サイト”Srebrenica – City of Hopeより執筆者翻訳・引用(アクセス日:2017年4月20日)

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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