KOTARO JOURNAL

旧オランダ領東インド(現インドネシア)戦没者慰霊碑を訪れて知る日蘭史

戦没者慰霊碑 Indies Monument

妻とサイクリングしている途中に、休憩がてらに立ち寄った「スフェニンゲンの森 Scheveningse Bosjes」にて、偶然ある記念碑を見かけました。

「スフェニンゲンの森」

「スフェニンゲンの森」

 

この記念碑には数多くの花が供えられており、悲しみに暮れる人々の彫刻像が立ち並ぶ台座には、以下のように記載されていました。

悲しみに暮れる人々の彫刻像

悲しみに暮れる人々の彫刻像

8 DEC 1941 ー 15 AUG 1945   DE GEEST OVERWINT

 

献花、彫刻像の様子そして指し示された期間の年号から、第二次世界大戦中の犠牲者を慰霊する記念碑だろうなとすぐに思いました。
※欧州各国では、戦争犠牲者を慰霊する記念碑が各所にあります。日本では、こうした記念碑は神社に戦没者慰霊碑として見かけます。

補足知識として述べると、1939年9月1日にヒトラー率いるナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻して始まった第二次世界大戦では、オランダはフランスや北欧諸国同様にドイツ軍の侵攻にあい、終戦までドイツの占領化となりました。

 

しかしながら、指し示された年号を見て、私だけでなく皆さんの多くが気付くことがあると思います。

「1941年12月8日―1945年8月15日

そうです!1945年8月15日は、昭和天皇が玉音放送にて日本国民に日本が降伏したことを伝えた「終戦記念日」になります。

私は、気になってすぐにこの記念碑のことを調べると、私達日本人と強い関係のある記念碑だったことが分かりました

 

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Indisch Monument(日:東インド領記念碑)

Indisch Monument

Indisch Monument

Indisch Monument」という名前が付いたこの記念碑は、太平洋戦争中に旧日本軍の支配下となった旧オランダ領東インド(現在のインドネシア)にて、亡くなったオランダ人の一般市民と兵士を慰霊する記念碑でした。

この記念碑の台座の目の前には、下図のように旧オランダ領東インドを中心とした地図が載せられています。

オランダ領東インドの地図

オランダ領東インドの地図

 

この記念碑(戦没者慰霊碑)は、1988年8月15日に当時のオランダ王国べアトリクス女王によって除幕式が行われてから現在に至っています。

前方の石碑には、以下のように文字が刻まれています。

  • 194112月8日の日本軍による真珠湾攻撃後、オランダは東南アジア地域における戦争に参入し、1945年8月15日に日本の降伏と共に終結した。
  • この記念碑は、戦没者の苦痛の印であり、抑圧と恐怖に対する闘いの象徴である。
  • 数多くの兵士、レジスタンス戦士、そして様々な民族からなる民間人が旧日本軍の収容所で命を落とした。

 

また、毎年8月15日には、この戦没者慰霊碑を前にして追悼式典が行われているようです。昨年は戦後70年という節目を迎えましたので、オランダ国王も出席しています。

※追悼式典の様子は、以下の動画から視聴できます。

 

2017年8月15日に開かれた東インド戦没者慰霊式典に参加した様子は、以下の記事をご覧ください。

 

「オランダ領東インド」とは何か?

オランダ領東インド

出典:http://ihcproject.weebly.com/index.html

そもそもオランダ領東インド(オランダ語:Nederlands-Indië)とは何か?をお話しします。

航海技術の発展と新たな交易ルートを求めて、15世紀半ばより海上進出を始めたスペインやポルトガル(大航海時代)に遅れて、オランダも16世紀末から香辛料を求めてアジア開拓へと航海活動を開始しました。

17世紀初頭になると、世界初の株式会社と言われる「オランダ東インド会社」が設立され、アジア地域の香辛料貿易に本格的に参入するようになります。このオランダ東インド会社は、1619年に現在のインドネシアの首都ジャカルタに商館を設置し、この地域の香辛料貿易を独占するようになります。

設立当初は香辛料貿易を目的としてたオランダ東インド会社は、17世紀後半からジャワ島へと進出し、領土拡大に熱意をみせるようになっていきました。この領土拡大によって、現在のインドネシアの領土のほとんどを支配するようになり、1800年に「オランダ領東インド」が設立します。(所謂、植民地国家の形成)

オランダ領東インドの地図

オランダ領東インドの地図 出典:Wikipedia

 

オランダ領東インドが形成されてからは、オランダ人による植民地支配の一環として、現地住民に指定の農作物を強制的に栽培させ、オランダ政府が独占的に買い上げる「強制栽培制度」が行われていました。この制度でオランダ政府は莫大な利益を上げた半面、オランダ領東インドの現地住民は厳しい生活が続いたと言われています。

 

旧日本軍のオランダ領東インド侵攻

ジャワ島に侵攻する旧日本軍

ジャワ島に侵攻する旧日本軍 出典:Wikipedia

オランダが日本に対して宣戦布告をした1941年12月8日(記念碑に刻まれた年号)の翌年、1942年1月に旧日本軍は石油資源を主な目的としてオランダ領東インドに侵攻し、翌月にはほぼ全域を実効支配するようになりました。

終戦までの約3年間に及ぶ旧日本軍の支配の下では、以下のような悲惨な状況が起きていました。

  • 10万人のヨーロッパ系民間人(多少の中国人も含む)の抑留。
  • オランダ、英国、豪州、米国軍人は収容所に送られ、死亡率は1330%に達していた。
  • 国連の報告書によれば、飢餓と強制労働により約400万人が死亡、そのうち約3万人のヨーロッパ系民間人は抑留死。
  • オランダ政府の調査によれば、約200300人のヨーロッパ出身女性が慰安婦として旧日本軍に勤務し、そのうち確実に65人の女性達は強制的に売春させられた。

特に慰安婦の問題に関しては、一部の日本軍人がオランダ人女性を監禁・強姦した事件(スマラン慰安所事件、詳細はこちら)等の悲惨なことが起きていました。

また、オランダ人女性被害者の一人であるジャン・ラフ・オハーン Jan Ruff O’Herneは、事件から約50年の時を経た1992年に被害体験を綴った手記を公表する等の活動を始め、この事件が世間の注目集めるようになりました。(彼女の被害体験等の詳細はこちら

 

戦後から現在の日蘭関係

http://gty.im/458154718

前章で述べたような歴史的背景から戦後長らく、オランダ国民に反日感情が強く残っていたとされています。1991年に当時の海部首相がオランダ訪問した際に、このIndisch Monumentに献花した花輪が後にインドネシア系オランダ人によって池に投げ捨てられた事件があったそうです。

しかしながら、近年では両国間の関係は回復し、現在は非常に良好な関係があると言ってもいいのではないかと思います。

例えば、2006年に長期間に渡って体調不良だった皇太子妃雅子様がご家族と共に、オランダに個人的にご静養されました。この件が実現したのは、オランダ王家が雅子様の体調を心配して、ご提案されたという話です。

また、2014年にはウィレム=アレクサンダー国王がマクシマ・ソレギエタ王妃と共に、国賓として来日した記憶は新しいですね。

 

オランダ領東インド戦没者慰霊碑を訪ねた感想

私は学校科目の中で一番「歴史」が好きで、高校時代は「世界史」を受験で使い、大学も「歴史学」を専攻し、卒業論文も「旧ユーゴスラヴィア史」に関して執筆しました。

それぐらい一般教養としてだけでなく学問としても「歴史」が好きな私なんですが、正直に言って、この第二次世界大戦中の日本とオランダの歴史はほとんど知りませんでした。かろうじて、「オランダ統治下のインドネシアを旧日本軍が侵攻⇒戦後、インドネシアがオランダから独立運動⇒現在のインドネシア」くらいの一般教養だけ覚えているくらいです。

今回偶然にもこの戦没者慰霊碑を目にし、第二次世界大戦時の「日蘭の歴史」を知ることが出来たことは非常に良かったです。

皆さんも「日蘭両国の歴史」に触れる機会として、一度訪れてみてはいかがですか。

 

Indisch monumentの詳細

 

参考サイト
Indies Monument, Wikipedia.
Japanese occupation of the Dutch East Indies, Wikipedia.
オランダ東インド会社、Wikipedia.
オランダ領東インド、Wikipedia.

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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