KOTARO JOURNAL

極右政党オランダ自由党首ヘルト・ウィルダースの素顔に迫る!

極右政党オランダ自由党首ヘルト・ウィルダース

3月15日に予定されているオランダ総選挙まで残り1週間を切りました。

今回のオランダ総選挙は、2017年に入ってヨーロッパで初めてとなる総選挙です。そして、反イスラム・反移民を掲げて支持率を伸ばしてる極右政党オランダ自由党(PVV)が議会第1党となる可能性も否定できない状況であり、このオランダ総選挙の結果で今後のフランス大統領選挙やドイツ連邦議会選挙に与える影響力を危惧して注目を浴びています。

「オランダのトランプ」ヘルト・ウィルダース

「オランダのトランプ」ヘルト・ウィルダース 出典:deredactie.be

そのオランダ自由党の党首ヘルト・ウィルダースGeert Wildersは、歯に衣着せぬ過激な発言を繰り返したり、ソーシャルメディアTwitterで頻繁に彼の政策や思想を発信していたり、ブロンド髪を持つ容姿であることから、多くのメディアで「オランダのトランプ」と呼ばれていたりします*。

※この愛称「オランダのトランプ」に関して、ウィルダース本人は賛同していません。

今回の記事では、「オランダのトランプ」と呼ばれるヘルト・ウィルダースの素顔に迫り、彼が現在のように反イスラム思想を募らせ、反移民を唱える過激な政治家になった背景を探っていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

性格の形成と政治への関心-幼少期から青春期-

ヘルト・ウィルダースは、1963年9月6日にオランダ南東部・ドイツ国境付近に位置し、カトリック教徒が多いリンブルフ州フェンロ―Venloの町に生まれ、中流階級のカトリック教徒である両親のもとに誕生しました。

リンブルフ州フェンロ―の地図

リンブルフ州フェンロ―の地図

ウィルダースの父親は印刷機製造業者で働き、母親は当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)出身で、4人兄弟の末っ子という家庭構成です。カトリック教徒の家庭で育ったウィルダースは、カトリック系の中等学校課程を終えた後、オランダ通信大学で法学を受講していました(現在は無神論者)。

ウィルダースよりも9歳年上の兄ポールがドイツ紙の取材に応じた際に、青年時代のウィルダースを「ひどい厄介者であり、自己中心的で、そして攻撃的な人物だった」と回想しています。特に、家庭内での両親への態度が非常に酷かったために、「家から追放するぞ」と真剣に迫られることがあったそうです。そして、現在は「偏狭な考え方を持ち」、「相手に譲歩することは絶対にしない」人物であると述べています。

幼少期のヘルト・ウィルダース(左)と兄ポール

幼少期のヘルト・ウィルダース(左)と兄ポール 出典:.rtlnieuws.nl

 

ウィルダースが政治と直接関り合いを持つのは20代後半になってからですが、政治に対する関心を持ち始めたのはもっと前からのようです。当時10歳だった彼は、当時1970年代の石油危機の問題に直面していたオランダの現状を受けて、学校内新聞にマニフェストを打ち出し、生徒達が車やスクーターの利用を制限するよう訴えかけたことがありました。

これらの話をまとめてみると、青年になるまでのウィルダースは性格に難があったものの、現在の反イスラム思想を助長することは何もなかったと思われます。正確には何歳の頃から政界に興味を示したのかは不明ですが、小さい頃から政治問題に興味を示していたことが分かります。

 

反イスラム思想の基盤形成-イスラエル滞在-

中等教育課程を終えた後の目標として世界を目にしたかったウィルダースは、当初オーストラリアに行く計画を立てていましたが、財政面で折り合いがつかず、その代わりにイスラエルへ行くことにしました。1981年(当時18歳)から約2年間イスラエルに居住し、パン工場で長時間労働しながら生計を立てていた彼はその間に数多くのアラブ諸国を訪問しました。

自身の先祖にユダヤ系の血が流れていることを信じるウィルダースは、イスラエルは非常に居心地が良い国で、「かつて訪れたことがあるような気がした」と回想しています(今回のイスラエル訪問・滞在は彼の人生で初)。

2014年にイスラエルを訪問したウィルダース

2014年にイスラエルを訪問したウィルダース

イスラエルに居住・数々のアラブ諸国を訪問した2年間を通して、イスラエルが対面するパレスチナとの緊張関係を目にするとともに、「強情で、イスラエルに対して憎悪を持つアラブ人」を見てきたことによって、現在のウィルダースの政治的立場を特徴づけている反イスラム思想の基盤が構築されたと思われます。

オランダに戻ったウィルダースは、オランダ中部に位置するユトレヒトで生活をしながら社会・健康保険会社で働き始めました。そして、1990年(当時27歳)に社会保障問題に関心のあったウィルダースは、同様の問題に闘う姿勢を見せるオランダ自由民主国民党(VVD)に加入し、当時の党首フリッツ・ボルケスタインの指導の下、正式に政界入りを果たしました。

彼の兄ポールによれば、どの政党に加入すべきか2人で長い時間をかけて議論したそうです。なぜならば、当時のウィルダースの政治的立場は左翼でも右翼でもなかったからです。しかしながら、彼は政治のゲーム、つまり権力と影響力への闘争に強く魅了されていたとポールは話しています。

1997年ウィルダースは自由民主国民党の議員としてユトレヒト市議会に選出されました。当時ユトレヒトに暮らしていた彼は、オランダに戻ってからも反イスラム思想を募らせる環境にありました。

それは、より多くのトルコ人やモロッコ人が彼の居住区近郊に移り住み始めていた光景です。そして、彼らのようなイスラム教徒移民が過激的な思想を持ち始めるにつれ、ウィルダース自身もイスラム教は後進的な宗教で、「1,000年経っても改革されない」という確信を持ち始め、より過激な思想を持つに至りました。彼はこの状況に嫌悪感を持ち、居住区内の通りを散歩することに危険を感じると不満を言っていたと当時の知人は話しています。

その翌年には、同党の議員として第二院議会(日本の衆議院に同等)に選出されました。よって、35歳で国政への歩み始めたことになります。反イスラム思想を募らせていたウィルダースでしたが、当時はまだ現在のような過激な思想を国政の舞台で出していませんでした。この時の彼の政策は、精神病治療のために長期間仕事から離れる労働者への給付金を削減することでした。

 

 反イスラム思想の過激化-モロッコ系移民による殺害事件-

自由民主国民党の議員として国政に取り組み始めたウィルダースでしたが、2004年9月に自由民主国民党から脱退します。その理由は、トルコ共和国のEU加盟へ支援を表明した同党との意見の対立です。その後すぐに、現在のような過激な反イスラム思想や反移民を掲げるようになった契機となる、大きな出来事がありました。

200411月2日にオランダ人映画監督テオ・ファン・ゴッホがモロッコ系オランダ人により殺害される事件が起きました。ゴッホ監督は殺害される前にイスラム社会における女性への暴力問題に関する短編映画”Submission“(以下の動画)を製作し、オランダ公共放送で放映した後に殺害予告を受けていました。そして、この事件を起こした犯人の部屋には、ウィルダースの名前が書かれた手紙が発見されました。

※以下の動画は、不快に感じる可能性がある動画のためご注意下さい!

 

その事件以降から現在にかけて、ウィルダースは6人の護衛を常に引き連れており、「トイレに行くときでさえ護衛がドアの外側で待機している」ほどの警護体制を敷いています。そして、毎晩異なる場所で寝泊まりをしているために、ハンガリー出身で元外交官の妻とは2週間に1回のみ会う機会が取り計らわれています。人々の注意を引くための一種のパフォーマンスも含まれていると思いますが、暗殺から身を守るために注意深く日々の生活を送っています。

この事件をきっかけに、ウィルダースは自身をイスラムの対抗者として明確な立場を強固にし、新たな政党立ち上げに動きます。

 

反イスラム思想の喧伝-オランダ自由党の立党-

自由民主国民党を脱退してから2年後の2006年2月22日、ウィルダースはオランダ自由党(PVV)を立党します。オランダ自由党にとって初めての選挙となる2006年第二院議会選挙では9議席(全体の約6%)を獲得して勢いづき始めました。

政界で躍進を続けるウィルダースは、公共の場での反イスラムに関する声明を発表したり、オランダ国内でコーラン(イスラム教の聖典)を禁止するよう提言したりするようになりました。そして、2008年にはウィルダースが監督として製作した短編映画”Fitna”をインターネット上で公開し話題となりました。この映画内では、イスラムの教えを遵守しないすべての者を憎むようにコーランがイスラム教徒を扇動していることを訴えかけています。

※以下の動画は、不快に感じる可能性がある動画のためご注意下さい!

 

この短編映画の製作・公開により、イスラム教徒への憎悪を駆り立てていることで裁判所より起訴されたり、映画の宣伝としてプロモーションツアーを予定していたイギリスから公共の秩序を脅かす可能性があるとして入国を拒否される等の問題が起きています。

また、2014年にはモロッコ系移民に対する差別を煽る発言(More or Fewer Maroccans?)をしたことで、再度裁判所に起訴され、有罪判決を受けています(以下は当時の動画)。ウィルダース本人は、拡大解釈した「表現の自由」を基にして、裁判所の判断を非難しています。

 

こうした問題が発生しながらも、オランダ国内におけるオランダ自由党への支持率は高まり、2010年の第二院議会選挙では24議席(全体の16%)を獲得するまでに至ります(2014年の同選挙では10議席に減少)。

 

まとめ

幼少期から現在に至るまでのヘルト・ウィルダースの人生を紐解いてみると、彼の反イスラム思想の根源には、イスラエルでの体験が大きな影響を与えていると思われます。そして、その思想をより過激なものにしたのがオランダ国内で増加する移民の問題に加え、モロッコ系移民による殺害事件です。

よって彼の反イスラム思想は、近年のヨーロッパ諸国における難民問題が引き起こしたものではなく、2000年代前半から彼の反イスラム政治運動は開始されており、いきなり政治の舞台に出てきたトランプ米国大統領のような人物ではないということです。

もちろん「移民に寛容」として有名なオランダで、一宗教を理由に差別し憎悪を扇動するウィルダースの政策は、あまりにも過激であることは否定できません。しかしながら、オランダ人が近年の難民問題だけでなくヨーロッパ諸国で起きるテロ事件を受けて社会への不安を募らせ、ウィルダースへの支持率が伸びていることも事実です。

 

前回の記事で書いたように、ウィルダース率いるオランダ自由党が選挙戦で最多議席数を獲得し、議会第1党となっても、政権与党になることは非常に難しいです。そのため、彼が訴える反イスラム政策が国政に直接影響を与えることはあまりないと思われます。

 

それでも、今回の総選挙でヘルト・ウィルダースという政治家の名前、彼が掲げる政策、オランダ自由党という政党名がオランダ国内だけでなく世界中で話題となっていることは、ウィルダースにとって今後の政治活動への大きな財産になることは間違いないです。

 

参考資料
An Interview with the Brother of Dutch Right Wing Populist Geert Wilders, Der Spieger, Mar, 1, 2017.
<http://www.spiegel.de/international/europe/an-interview-with-the-brother-of-dutch-right-wing-populist-geert-wilders-a-1136717.html>(2017/03/09参照)
Can Geert Wilders be more than the Netherlands’ agitator-in-chief?, the Guardian, Mar, 8, 2017.
<https://www.theguardian.com/world/2017/mar/08/can-geert-wilders-be-more-than-netherlands-far-right-agitator-in-chief?CMP=Share_iOSApp_Other>(2017/03/09参照)

Geert Wilders, Reclusive Provocateur, Rises Before Dutch Vote, The New York Times, Feb, 27,2017.
<https://www.nytimes.com/2017/02/27/world/europe/geert-wilders-reclusive-provocateur-rises-before-dutch-vote.html?_r=0>(2017/03/09参照)
Islam Critic Wilders: A Missionary with Dark Visions, Der Spieger, Mar, 27, 2008.
<http://www.spiegel.de/international/europe/islam-critic-wilders-a-missionary-with-dark-visions-a-543627.html>(2017/03/09参照)
Geert Wilders, Encyclopedia Britannica.
Geert Wilders, Gatestone Institute.

 

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


記事が気に入ったら
Kotaro Journalを "いいね!"
Facebookで更新情報をお届け。

Kotaro Journal

関連記事一覧

  1. 【国会開会の儀式】オランダ国王による黄金馬車パレードに参加してみた!
  2. 約250台のクラシックカーを展示しているローマン博物館のエントランス
  3. 【引越し後】オランダでの引越し手続き&やることリスト
  4. キューケンホフ公園を楽しむガイド
  5. オランダの選挙制度
  6. 自転車

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

執筆者のプロフィール

Kotaro

フリージャーナリスト&英語・セルビア語通訳者
ブログ運営者のプロフィール

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト

オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。

お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。

大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

お仕事の相談はこちら

詳細なプロフィール

セルビア中毒便り

海外送金にオススメ!

手数料激安の海外送金

最新の記事

  1. 意外にも驚かれるセルビア4つの真実
  2. 映画"The New Barbarianism":戦地で従事する医療機関・医療従事者をどうやって保護するか?
  3. ニューオーリンズ観光で超絶オススメしたい観光スポット7選
  4. ジャクソン・スクウェア
  5. 創造性豊かなオランダが誇る歴史上の発明品10選




執筆者が推薦したい社会派記事



ピックアップ記事

  1. 街中で子供達に風船を配るズワルト・ピート
  2. オランダのクリスマス
  3. 私がセルビア人女性と国際結婚して直面した民族問題
  4. 「バルカン食文化の美しさをオランダ全土に広めたい」ーバルカン食料品店プリヤーテリ in アムステルダム
  5. 旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷の写真 No.16

FOLLOW ME!!

ハーグ観光のお手伝い

ハーグ在住日本人がハーグ観光をお手伝い

PAGE TOP