KOTARO JOURNAL

アルバニア語を学ぶセルビア人学生が直面する民族問題と心に抱く葛藤の物語

アルバニア語を学ぶセルビア人学生ミレナ・ベラン

今回の記事は、 2017320日にアルバニア・メディアで発行された記事”Unë, Serbe dhe studente e gjuhës shqipe“(邦題「そう、私はセルビア人で、アルバニア語を勉強している」)の日本語訳となります。

この記事の日本語訳には、この物語の語り手であり執筆者であるミレナ・ベランと、記事発行社BARAZIA編集者の方の協力の下で執筆しています。

翻訳者(私)はアルバニア語の知識がないために、原文執筆者ミレナの力を借りてアルバニア語→セルビア語→日本語という形での翻訳記事となります。そのため、原文であるアルバニア語で意図する意味合いと多少異なる可能性がありますが、ご了承ください。

 

 

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「そう、私はセルビア人で、アルバニア語を勉強している」

3年前、私はベオグラード大学言語学部に入学し、アルバニア語を学び始めることに決めた。当時の私は、アルバニア語について全く何も知らなかった。けれども、2008年にベオグラードで開催されたユーロビジョン・コンテストを観ていた時に、アルバニア代表として出場していた歌手の歌を初めて聴いて、アルバニア語をとても大好きになった。このときが、アルバニア語の言葉を初めて聞いた時だった。その時の曲は、オルタ・ボカによる”Zemrën e lamë peng“(英訳:”Hearts trapped in time”)。この曲にどんな意味が込められているのか分からなかったけれども、この曲が大好きになって、歌詞をすべて覚えて歌ったことを憶えている。

大学一年生の時、アルバニア語を専攻する学生は私を含めて15人在籍していた。学年が進むにつれて、アルバニア語を学ぶ学生数が徐々に減っていってしまった。第三学年となった今では、残っている学生は5人か6人ほどとなってしまった。この3年間の間に、セルビア人とアルバニア人間における友好関係の発展を目的とした異文化交流プロジェクトを通じて、コソヴォとアルバニア出身の多くの人々と接してきた。

 

アルバニア語を学び始めたことは、私に多くの変化をもたらした。例えば、セルビア人とアルバニア人の民族主義者が持つ思想は、恐怖とメディアによる誤った報道、そして両民族に対する相互間の無知によって引き起こされているということを容易に理解して認識できるようになった。私は「友人たち」を失う一方で、新たな友人たちに恵まれた。

物事が順調に進んでいった。その証拠として、多くのアルバニア人との交流を通じて芽生えた友情の物語を聞いてくれた私の家族や友人たちが、アルバニア人に対する考えを変えてくれた。こうした家族や友人たちはこの話題について気軽に話すことができる人たちであり、毎日のやりとりを通じて私からの影響を受ける人たち。けれども、私と直接関り合いのない大部分の人たちには、残念ながら私からの影響力はない。

 

セルビア首都ベオグラードでアルバニア語を学ぶセルビア人と知り合うことに、みんな興味津々だ。私のことを見て頭がおかしいと思う人、私の決断に感嘆する人、嘲笑う人がいる・・・。けれども、セルビア人の私がアルバニア語を学んでいることに誰も無関心でいることはできなかった。毎回のようにみんなが、様々な質問をどんどんしてくる。そうした質問に答えなければいけないことにうんざりしてしまう時があって、単純に他の外国語を専攻すればよかったなと思ってしまう。私が違う言語、例えばフランス語を勉強していたら、誰も質問なんて全くしてこないだろうね。

 

人々の反応は決まっていつもこんな感じ。

「アルバニア語を勉強しているって!?たくさんの言語があるのに、なんでまたアルバニア語なんて選んだんだ?」

「アルバニア語学科なんてあるの?何人の生徒がアルバニア語を勉強しているの?」

「あなたは、アルバニア人なの?」

「そんなバカな!アルバニア語学科を修了して、将来探す仕事に何を望んでいるんだ?」

そうした反応がある一方で、「いいね!どんな調子だい?」と言ってくれる人も僅かばかりいる。

 

3年間に渡ってこうした質問に答えてきたから、私は少し疲れてしまった。けれども、こうした質問に答えることは、それほど大きな問題ではない。問題は、セルビア人とアルバニア人の両民族側から、死の脅迫文がひっきりなしに届いていたこと。そう、アルバニア人の中にでさえ、セルビア人が彼らの母国語であるアルバニア語を勉強している事実を不快に感じる人がいる。なんでセルビア人の私がアルバニア語を勉強しているの?ってね。

 

私が学ぶ言語で得られる長所の一つは、他の言語を学んでいると縁がない様々なプロジェクトに参加できること。こうしたプロジェクトの一環で、2015年に50人の学生のうちの一人として、私はアルバニア首都ティラナで3日間に渡る交換留学プログラムに参加した。ちょうどその時に、セルビア代表とアルバニア代表によるサッカーの試合がアルバニア中部エルバサンで行われる予定になっていた。

複数のメディアは、セルビア代表を応援するために来訪しているサポーターとして私たちの存在を報道していたけれども、本当はそうじゃない。実際は、セルビアとアルバニア両国間にとって歴史上初めてとなる、学生の交換留学協定が実現したことを祝う式典に参加するために、私たちは訪れていた。けれども、この歴史的な協定が実現したことは、メディアがサッカーの試合ばかり報道していたために全く注目を浴びなかった。私はどうでもよかったのに、誰もこの試合を見逃したくない。私たちの身の安全を守ってくれたアルバニア警察当局と特殊部隊に感謝しなければいけない。

このサッカーの試合を観戦しているときに、不快な思いをする出来事があった。セルビア語を流暢に話すサポーターの一人が私に向かって、「お前を殺して、お前の母親を襲う」と言ってきた。私は何も反応しなかったし、彼に何も答えなかった。でも、私は一部始終を見ていた近くの警察にこのことを伝えて、その人物はスタジアムから追放された。

 

この3日間に渡る交換留学プログラムの間、私たち全員は多くのマスメディアに報道された。そして、私は一度も面識のない人からソーシャルメディアを通じてメッセージを受け取った。中には、死の脅迫文まで送って来る人もいた。ある人にとって、私は「アルバニア人の娼婦」であり、またある人にとって、「アルバニア人の甘い蜜を経験して、それなしに生活できないセルビア人の娼婦」だった。そして、「ムスリム人の娼婦」としてもね。私がどの民族の娼婦なのかは、その人の視点によるものだと思う。私は、ただアルバニア語を勉強しているだけ。外国語を勉強する女性だからといって、勝手に娼婦になるの?

人々のこうした反応は、家父長制社会が色濃いバルカン半島では当たり前のことであり、これからも変わることはないと言われてきた。でも、私は人々のこうした反応に理解を示すことができない。だって、こうした反応を通常の態度として見なしたことはないもの。

 

幸運なことに、私たちの話に耳を傾けてくれる良い人もいた。そうした人たちは、アルバニア語学科がどんな雰囲気なのか、どれほど歴史的な学科なのか(実際にヨーロッパで最も古い学科であり、この歴史は現在の私たちが置かれている友好的でない状況は、かつて必ずしも存在してなかったことを教えてくれている)、私たちがプリシュティナ滞在をどれほど楽しんでいるのかといった話に興味津々だった。コソヴォの首都プリシュティナの通りで見かけた露店の商売人たちは、私がアルバニア語の書籍を探している様子に気づき、「どこの出身か」との質問に対して「ベオグラード出身だ」と答えると、いつも目に涙を浮かべながら喜んでくれた。中には、「言語を忘れないために」私とセルビア語で話したがる人もいた。また、街中の通りを歩いている時に、私は一度も不快な思いをすることはなかった。

 

アルバニア語を学ぶ私たち学生には、誰も望んでいなかった大きな責任が肩にのしかかっている。私たちは常に、バルカンの政治情勢の動向と歴史的背景を十分に知らなければならない。もし私たちが十分に知らないと、敵対する側は私たちを憎んでいること、そして私たちはみな同じ人々であるという私たちの意見は間違っていることを「証明」しようとしてくる。

自分が好きな言語を学んでいるだけなのに、私に期待する多くの要望や私を非難する言動(私はセルビア民族の裏切者など)で、これまでに数えきれないほど何度も涙を流した。

 

アルバニア語学科には多くの問題があって、大部分の問題は1990年代を過ぎてから現れ始めた。アルバニア語の教授が不足していたり。でも、私たち学生は出来る限り学ぼうと努力している。けれども、こうした現状には誰にも関心がないし、どんな状況下で私たちが学んでいるのかなんて誰も気にしていない。

この状況は良くなるの?私はそう強く願うよ。じゃあ、いつになったら良くなるの?正直に言って、すぐに状況が良くなるとは思わない。ごめんね。

翻訳者:KOTARO

 

あとがき

コソヴォ紛争が終結してから約20年弱の時が経つものの、セルビアとコソヴォ両国間に領土問題による政治問題だけでなく、民間人であるセルビア人とアルバニア人の間にも民族憎悪による緊張状態が存在している。

こうした民族間の緊張がある一方で、物語の語り手であるミレナのようにアルバニア語を大学で学ぶと同時に、コソヴォやアルバニア出身のアルバニア人と交流を直接深めることで、互いの民族を「知る」努力をする若者がいることを日本人の方に伝えたかった。それが、今回の記事「そう、私はセルビア人で、アルバニア語を勉強している」を日本語に翻訳しようと思った経緯である。

現在も続くコソヴォを巡る領土問題は解決の兆しは見えないものの、ミレナのようにセルビア人とコソヴォ出身のアルバニア人の若者同士が交流を深める機会が増え、互いの民族を「知る」ことこそが民族間の緊張のない世界の実現、そして領土問題の解決の糸口になると私は信じている。

だからこそ、ミレナのようなアルバニア語を学ぶセルビア人の若者に出会うことが出来たことを非常に嬉しく思うし、今後も彼女をはじめアルバニア語を学ぶ学生に注目していきたいと思っている。

最後に、記事翻訳の実現に協力してくれたミレナと出版社BARAZIAに感謝を申し上げたい。

In the last, special thanks to Milena Beran and the publisher BARAZIA.

 

オランダのハーグに在住しながら、セルビア(旧ユーゴスラヴィア他諸国)で起きている現状を独自の目線で発信するフリージャーナリスト。オランダの社会文化や現地での海外生活を最前線から追いながら、かつてセルビアに留学した執筆者が、旧ユーゴスラヴィア地域の社会問題を取り上げていく。お問い合わせは、info@kotaro-journal.comまで。


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大学時代に旧ユーゴスラヴィア史を研究し、1年間セルビアに留学。旧ユーゴ史研究者に少し憧れたものの諦める。現在は、オランダ・セルビアに特化した記事を書くフリージャーナリストとして活動。

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